第22話  仕上げられた竿・庄内竿    平成25年10月15日  

 庄内竿の原竹はニガ竹と呼ばれる竹である。字の通りこの竹の筍が苦くて食べられないことに由来する。竹の呼び名は日本全国に800種類以上あると云われている。その中に苦竹と呼ばれる竹は日本各地に多数存在しているが、庄内竿と同じ種は他所の地区にはないと庄内の先人たちは口をそろえて云っている。この竹は通称メダケと呼ばれる分類に属しているらしい。「随想 庄内竿」を書いた根上吾郎氏が記述の中に、富士植物園に現物を送って調べて貰ったと書いてある。そして竹の権威の学者先生の話では、「庄内の苦竹はアオネザサである」と云われたとか? 根上吾郎氏は、アオネザザと苦竹の違いを列記して、完全に納得はしていない節がある。それでもこれが荘内日報に連載された事によって、アオネザザ=苦竹説はほゞ定着してしまった感がある。
 通称アオネザサと云われるものは、トヨオカザサ、ノビドメザサ、ウワゲネザサ、ホソハバノアズマネザサ、ボウシュウネザサ、コシメダケ、リョウケネザサ、シラカワザサ、ウスイザサ等の異称があると云われている。自分にはそれを調べるだけの学はない。車の運転が出来るうちに福島県の内陸から海岸に広く繁殖していると云われているトヨオカザサ、シラカワザサなる竹をぜひ見に行きたいものだと考えている。又、メダケの代表的な品種である篠竹や釣瓶竹、丸節竹などの突先は皆ヘラ節であり、庄内の苦竹のようにウラ(穂先)に使える竹は殆どないとされている。
 ご承知の通り、庄内竿は根から穂先まで一本の原竹から作られている竿である。故に途中から切って他の竹と合わせて継竿にしたり、漆を塗ったり加工を一切施さない延竿が基本とされている。ただし、三年子以上の竹の穂先が冬の凍結で枯れてしまっている時にのみ同じ苦竹の他の竹のウラを継いで一本の竿に仕上げる。現在では延竿の置き場所がない為、一本の延竿に仕上げられた竿を二つから三つに切り、螺旋式の真鍮パイプで継いだ物も庄内竿と呼んでいる。他の地方の竿は初めから継竿として作られた竿で、穂先から根っ子迄一本の原竹を使用したものではない。又竿として使う為に、竹の特性を生かせる何種類かの竹を用いて一本の竿として仕上げられている物が多いのである。そして継口の部分が割れたりしないように、絹糸等を巻いてその上に漆を塗ったり、表皮をワザワザ削いで漆をかけたりもする。
 庄内では基本的に根から穂先まで一本の竹と云う原則から、すべてが完璧な竹を探さねばならない。根から穂先までの良き竹が探し出されて、その竹が生まれ持った資質を最大限生かされて竿となった時、その竿は美術品の位置にまで高められる事が多い。いみじくも庄内藩の幕末の軍学者秋保親友が「名竿は名刀より得難し、子孫はこれを粗末に取り扱うべからず・・・・」と云った通りとなる。
「根から穂先まで・・・」と良く云われる庄内竿だが、実際には根の形は人の顔のように一本一本皆形が違う。いくら本体部分が良くても、根が良くなくては台無しとなる。又逆に幾ら根の形が、良くても本体部分が悪ければそれも台無しとなる。ただし、前者の場合は実践竿とする事が出来る為、根を削って堅木で根に似せて作った根を付ける事で竿として生かせる場合がある。事実そのような竿を幾らでも見る事が出来たものだ。
 世に美竿は沢山あれど名竿となると本当に少ない。ただでさえ少ない完璧な竿=名竿と呼ばれる竿は滅多な事では釣り場で見る事は無い。子供の頃の価値で二間半から三間のまずまずの新竿が、23千円の時、中古の美竿の良い物が数万していたと云う記憶がある。庄内中の苦竹の藪を探し回り、やっと見つけた良い竹を掘り、何年も何年も掛けてその竹の持つ資質を100%以上導き出された時に、初めて「仕上げられた竿」と云う事が出来る貴重な物である。
 庄内竿は決して数を釣る竿ではない。少ない魚を楽しんで釣る為の竿だ。昔の弱いでテグスを使いより大きな魚を釣り上げる事が出来る竿であった。ちなみに江戸末期から明治の初めの頃に、当時の竿と道具を使って二尺に近い石鯛や三尺の真鯛を上げる竿があったでろうか?
 それに対して他の地方の竿は、初めから竹を切ったり、竹をキシャいだ後に絹糸を巻いて補強したり、その上に漆を塗ったりして竿をきれいにし、尚且つ魚を効率的に釣る為の竿が多い。と云う事は、美術品、工芸品であるとともに釣る為に「作られた竿」と云えるのではないだろうか?